1か月も経てば、いや、1週間程度でほとんど記憶も吹っ飛び、自分が書いたメッセージさえ意味がわからないなんてことになっていませんか?
たとえば、Git界隈では、このあたりも積極的に議論が成され一定の規範に則って運用しようという文化が醸成されつつあります。
調べてわかればよい、という意見も多く聞かれますが、果たしてこの感覚は正しいものでしょうか?
いえ、正しい誤りという二律背反的な捉え方は無意味でしょう。 第一、時間の無駄です。調べるという行為には追跡という要素があります。この追跡という行為には推測という要素がつきものです。つまり、推測に誤りがあれば間違った情報や解釈に到達してしまう危険性があります。
たかが、コミットメッセージだけで大げさな… という見方もできるかもしれません。事はコミットメッセージだけに留まらずドキュメントやコードにまで影響するのです。
どういうことか?
コミットメッセージさえ気を使えなければ、ドキュメントもまたしかりだと思います。
これは作業品質の問題です。 あるいは、余計なことに頭を使う必要がなければ、もっと本質的な部分に注力することが可能になります。
0 件のコメント :
コメントを投稿