2015年8月26日水曜日

積極的に「できない」と言う感性

「XXXなはず。」
「XXXXは、ここでは有り得ないこと。」

上記のセンテンスは、一日に何度も聞く言葉です。
これらは、常に根拠なき推測に基づいた表現手段です。
メカニズムというのは感情や理性を持っていませんから、このような判断をすべきではありません。
言ってしまえば、これらは性善説に基づいた単なる願望に過ぎません。
私たちの仕事はいかなる状況においても常にロジックで判断をして、裏付けをとり、根拠を明確にしないとならないのです。

「できないこともないけど…」
これも何度となく耳にする発言です。
バリエーションとして
「できないこともないけど、工数が足りない。」
「できないこともないけど、人が足りない。」 などがあります。

これらも似たような構造で、きっとできるはずという願望が見え隠れしていて、根拠が示されていません。
根拠には次の2つの特性が含まれます。
ひとつには、過去の経験から得た知見に照らし合わせて、どのくらいで解決できるだろううか? あるいは、解決が可能であるか? という視点。
ふたつめは、自分の経験に参照することができずに一定の調査や学習が必要だと判断できる視点です。

とくにふたつめの視点は大切です。
常に一定の解決手段でものごとを進められるほど、仕事は単純ではありませんし、安定稼働や合理性という観点を損なうわけにもいかないからです。
したがって、エンジニアとして純粋無垢である姿勢が問われるのです。言ってみれば、これは伸びしろでもあります。

「できない」と「やるべきでない」がクロスオーバーしたときに、きっと重要なポリシーを発見できるのではないかと思うのです。

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